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大和高田市って?

遺跡発掘調査報告

担当 生涯学習課

池田遺跡

池田遺跡 正装した男子埴輪

馬見丘陵南端部の西側斜面や周辺の沖積地に広がる、後期旧石器時代から江戸時代にかけての遺跡です。古墳時代の生活面からは、4~6世紀にかけて築造された10数基に及ぶ前方後円墳、方墳、円墳などの古墳が、開墾によって削平された状態で発見されました。発見された古墳はいずれも規模は小さく、また水に浸かりやすいなど立地条件も悪く、見晴らしの良い丘陵の高所に造成された大型の築山古墳等の古墳とは対照的です。古墳群からは大型の鶏、盾持ち人、巫女、盛装した男子など、大型古墳にも引けを取らないほどの精巧な形象埴輪が出土しました。香芝市下田東古墳や橿原市四条1号墳など、小規模な古墳からの形象埴輪の出土例は増えてきています。

古墳時代の生活面の下に堆積した遺物包含層からは、後期旧石器時代の国府型ナイフ形石器、縄文時代草創期から晩期に到るまでの各時代の土器、弥生時代の打製石剣の半製品など大量の遺物が出土しました。今後は、これらの遺物が使われた時代の遺構の発見が期待されるところです。

 

盾持人埴輪・盛装した男子埴輪が、中国陝西省歴史博物館(西安)で開かれた特別展「日本考古展―古都奈良考古文物精華展―」に、奈良を代表する貴重な遺物の一つとして、平成23年10月21日から同年12月19日まで出展されました。なお、今後は大和高田市郷土資料室(市内池田3 陵西小学校内 Tel0745-25-0244)で、希望者に公開される予定です(平成24年春頃)。

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コンピラ山古墳

コンピラ山古墳 南東から

築山古墳の前方部の東側の丘陵斜面に造成された円墳です。過去数回にわたる範囲確認調査などで、墳丘は直径95メートルの規模を持つ、全国的に見ても最大規模の円墳であることが判明しました。墳丘は2段に築成され、テラスと墳頂には埴輪列が廻らされていました。埴輪の特徴から、5世紀前半の築造と推定できます。

墳頂では盾形や家形埴輪の破片が見つかったほか、円筒埴輪列の中の2本の内側に、ミニチュアの土器が一個ずつ納められた状態で出土しました。こうした例は、河合町乙女山古墳、天理市渋谷向山古墳に例があり、埴輪を利用した祭祀のありかたを探るうえで貴重な資料とされています。

かん山古墳

かん山古墳墳頂墓壙検出状況

築山古墳北側の児童公園内の尾根上に築造された円墳です。

過去の調査で、直径が50メートルの円墳であること、葺石のない2段築成の墳丘であること、墳頂とテラスには埴輪列がめぐること、墳頂には盾形や家形の埴輪があったこと、周濠は存在しないこと、墳頂には大小2基の棺を納めた墓壙(埋葬主体部)が存在することなどが判明しました。埴輪から、築造時期は5世紀前半と推定されますが、コンピラ山古墳よりは時期が新しいとも考えられています。

墓壙の平面規模(最大長×最大幅)は、大きな方は10.5×3.8メートル、小さい方は6.3×2.7メートルを測ります。いずれの墓壙も盗掘を受けていましたが、盗掘坑からは鉄刀片、鉄鏃片、碧玉製の勾玉・管玉、水銀朱などが出土し、大きな墓壙の底にはコウヤマキ製の割竹形木棺の一部が腐らずに残っていました。築山古墳後円部の南西にある茶臼山古墳とともに、大型の前方後円墳に近接する中規模の円墳の実態が明らかになっていくことが期待されます。

池尻遺跡

池尻遺跡1次調査 方形周溝墓検出状況

池尻環濠集落北部に位置する、葛城川と高田川に挟まれた微高地の上に広がる縄文時代晩期から中世にかけての遺跡です。中和幹線道路の新設工事にあたり発掘調査が行われました。調査の結果、弥生時代から古墳時代の遺構として、近畿地方で多く造られた方形周溝墓とよばれる四方に溝を掘り土を盛った墓が4基と河道が1条、奈良時代から平安時代の遺構として、井戸1基と、7~8世紀ごろに行われた条里制水田と呼ばれる土地管理制度によって規則的に区画された水田などが検出されました。遺物は、方形周溝墓と河道から多量の土師器、平安時代の井戸から瓦器椀などが出土しました。以上のことから、調査地周辺が弥生時代から古墳時代前期にかけては墓域、それ以降は耕作地として利用されていたことが分かりました。集落跡は見つかっていませんが、集落については微高地上につくられることが多いため、池尻遺跡では調査地から南側に微高地が広がっているので、中世以前の集落跡は調査地より南にあったと推定されています。

土庫遺跡群

土庫長田遺跡調査区全景

土庫環濠集落北側、藤森環濠集落南側に位置する縄文時代から江戸時代にかけての遺跡です。池尻遺跡と同様に、中和幹線道路の新設工事にあたり発掘調査が行われました。小字名から、土庫長田遺跡、土庫丑寅遺跡、土庫東遺跡の3つに区分されています。調査の結果、土庫長田遺跡では古墳時代の河道と竪穴式住居13棟・掘立柱建物1棟・小区画水田・平安時代の条里制水田、土庫丑寅遺跡では弥生時代の粘土採掘用とみられる土坑、土庫東遺跡では弥生時代の河道などを検出しました。土庫長田遺跡では、河道や住居、小区画水田の上部に堆積した、洪水によって運ばれた土から土器類が多量に出土し、河道と住居は古墳時代中期、小区画水田は古墳時代後期のものと考えられます。河道、住居からは韓式系土器と呼ばれる朝鮮半島の影響を強く受けた土器が出土しました。この韓式系土器は、日本の土師器の影響を受けている点が認められ、このことから、この集落に住んでいた人々は、日本列島へ土着した朝鮮半島系の人々と推測されます。

礒野北遺跡

礒野北遺跡1次調査区全景

市街地の南部、高田川左岸に位置します。市立病院の増築工事に伴い、発掘調査が行われました。調査では、古墳時代前期の竪穴式住居2基、掘立柱建物、その住居の一端を巡って区画する溝を検出しました。竪穴式住居2基は3回から6回の建て替えが確認されており、このうちの1棟は最終に建て替えられた住居の床面から、滑石製の玉類の未製品やチップが多量に出土し、玉造工房と考えられています。溝からは、鍬や田下駄など農耕具、椅子、木樋など、多くの木製品が出土しました。また、土器については、山陰地方や東海地方の土器が含まれており、他地域とも交流があったことが推測できます。

三倉堂遺跡

三倉堂昭和3年調査時遠景

大和高田市中央部周辺に位置します。昭和3年に大鉄(現在の近鉄南大阪線)の新設工事のため、三倉堂古池・新池で土砂採取が行われた際、木棺が出土したことが遺跡発見の契機となりました。新池から3基、古池から3基の計6基が出土しました。工事中に偶然発見されたため、考古学的な調査は十分行われず、現在では副葬品の大部分は散逸しています。残された副葬品については、2木号棺から出土した七鈴鏡と、古池から出土した円筒埴輪や弥生土器、須恵器があります。その他に、3号木棺から大刀・鉄鏃・馬具・須恵器と、1号木棺から須恵器が出土したと記録がありますが、現在は所在不明です。3号木棺については、年輪年代測定法と呼ばれる、年輪を観察してその木材の年代を測定する方法で時期が測定され、6世紀初頭に伐採されたものと判明しています。この他の報告で、新池からは横穴式石室や須恵器の合口甕棺が検出されたとあり、周辺一帯が古墳時代後期の古墳群であったと考えられます。

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