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大和高田市って?

大和高田市で生まれた国民の歌

担当 企画広報課

大和高田市で生まれた国民の歌 1962年(昭和37年)、内閣、総理府、電通、NHK、民放各社、新聞社、レコード会社などが協賛して、「私達の生まれ育った日本を愛するために、だれもが口ずさめる、文字通り、国民の歌をつくろう」との提案がなされました。
このよびかけに応じて、全国から2万数千点の作品が寄せられたのですが、当時、本市職員の橋本竹茂氏(42歳)は、「若い日本」を作詞し、応募したところ、西條八十、サトウハチロー、佐藤春夫の三氏が選者で、最終選考の三点に選ばれました。
これらの歌には、それぞれ曲をつけて、NHKがテレビ、ラジオを通じて全国に放送し、国民投票にゆだねられましたが、橋本竹茂作詞、飯田三郎作曲の「若い日本」は、16万2千票を獲得して、見事一位となり、「国民の歌」に選ばれました。

若い日本の記念碑と故橋本竹茂氏国民の歌決定とともに、ビクター、コロンビア、ポリドール、東芝、キング、テイチクの6社からレコードが発売され、東京の日比野公会堂では、当選者を招き、盛大な音楽会が催されて、その様子は、NHKによって、ナマ放送で、全国に報じられました。
こうして、国民の歌「若い日本」は、作詞家橋本竹茂の名とともに、全国に知られるところとなったのです。
作曲をされた飯田三郎氏の出身地(根室市)に近い、釧路市では、譜面入りの記念碑が建てられ、本市でも、1965年(昭和40年)、庁舎玄関近くに、「国民の歌・若い日本」の記念碑が建てられました。
戦後、我が国が再建、復興の途上にあったとき、希望に満ちた「若い日本」の歌が、全国に流れ、多くの国民を鼓舞し得たことは、今も、本市の誇りのひとつに数えることができます。

当時の市民体育館での発表風景
当時の市民体育館での
発表風景
釧路市の記念碑
釧路市の記念碑

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