大和高田市で生まれた国民の歌

更新日:2023年05月30日

若い日本のレコード2枚の写真

1962年(昭和37年)、電通、NHK、民放各社、新聞社、レコード会社などが協賛して、「私達の生まれ育った日本を愛するために、だれもが口ずさめる、文字通り、国民の歌をつくろう」との提案がなされました。
このよびかけに応じて、全国から2万3,196千点の作品が寄せられたのですが、当時、本市職員の橋本竹茂氏(42歳)は、「若い日本」を作詞し、応募したところ、西條八十、サトウハチロー、佐藤春夫の三氏が選者で、最終選考の三点に選ばれました。
これらの歌には、それぞれ曲をつけて、NHKがテレビ、ラジオを通じて全国に放送し、国民投票にゆだねられましたが、橋本竹茂作詞、飯田三郎作曲の「若い日本」は、16万3,380票を獲得して、見事一位となり、「国民の歌」に選ばれました。

若い日本の記念碑の前で記念撮影をしている橋本竹茂氏の写真

国民の歌決定とともに、ビクター、コロンビア、ポリドール、東芝、キング、テイチクの6社からレコードが発売され、東京の日比野公会堂では、当選者を招き、盛大な音楽会が催されて、その様子は、NHKによって、ナマ放送で、全国に報じられました。
こうして、国民の歌「若い日本」は、作詞家橋本竹茂の名とともに、全国に知られるところとなったのです。
作曲をされた飯田三郎氏の出身地(根室市)に近い、釧路市では、譜面入りの記念碑が建てられ、本市でも、1965年(昭和40年)に大和高田市役所(旧庁舎)玄関近くに、「国民の歌・若い日本」の記念碑が建てられました。現在はさざんかホール前に設置しています。
戦後、我が国が再建、復興の途上にあったとき、希望に満ちた「若い日本」の歌が、全国に流れ、多くの国民を鼓舞し得たことは、今も、本市の誇りのひとつに数えることができます。

舞台の上で合唱をしている人と鑑賞している人達を写した白黒写真

当時の市民体育館での発表風景

床ヌプリで作られた記念碑の全体を写した写真

釧路市の記念碑

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