三倉堂遺跡

更新日:2022年01月21日

三倉堂遺跡

全体的にもやがかかっている奥に林があり、中央に数名の人が立っている遺跡跡の白黒写真

大和高田市中央部周辺に位置します。昭和3年に大鉄(現在の近鉄南大阪線)の新設工事のため、三倉堂古池・新池で土砂採取が行われた際、木棺が出土したことが遺跡発見の契機となりました。新池から3基、古池から3基の計6基が出土しました。工事中に偶然発見されたため、考古学的な調査は十分行われず、現在では副葬品の大部分は散逸しています。残された副葬品については、2木号棺から出土した七鈴鏡と、古池から出土した円筒埴輪や弥生土器、須恵器があります。その他に、3号木棺から大刀・鉄鏃・馬具・須恵器と、1号木棺から須恵器が出土したと記録がありますが、現在は所在不明です。3号木棺については、年輪年代測定法と呼ばれる、年輪を観察してその木材の年代を測定する方法で時期が測定され、6世紀初頭に伐採されたものと判明しています。この他の報告で、新池からは横穴式石室や須恵器の合口甕棺が検出されたとあり、周辺一帯が古墳時代後期の古墳群であったと考えられます。

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