池尻遺跡

更新日:2022年01月21日

池尻遺跡

十字に土手が作られ、発掘調査の穴に白線で印がつけられている箇所を高台から撮影した写真

池尻環濠集落北部に位置する、葛城川と高田川に挟まれた微高地の上に広がる縄文時代晩期から中世にかけての遺跡です。中和幹線道路の新設工事にあたり発掘調査が行われました。調査の結果、弥生時代から古墳時代の遺構として、近畿地方で多く造られた方形周溝墓とよばれる四方に溝を掘り土を盛った墓が4基と河道が1条、奈良時代から平安時代の遺構として、井戸1基と、7~8世紀ごろに行われた条里制水田と呼ばれる土地管理制度によって規則的に区画された水田などが検出されました。遺物は、方形周溝墓と河道から多量の土師器、平安時代の井戸から瓦器椀などが出土しました。以上のことから、調査地周辺が弥生時代から古墳時代前期にかけては墓域、それ以降は耕作地として利用されていたことが分かりました。集落跡は見つかっていませんが、集落については微高地上につくられることが多いため、池尻遺跡では調査地から南側に微高地が広がっているので、中世以前の集落跡は調査地より南にあったと推定されています。

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