横大路とおかげ参り
市内の中央部を東西に貫く道、横大路は、古代からの大道で、国家が設置した最初の国道ともいえるものです。日本書紀には「難波より京に至る大道を置く」と記述されており、道幅が30メートル(諸説あり)ぐらいあったとされています。
「横大路」は、古代には京(飛鳥)へ、中世以降は、長谷寺や伊勢神宮詣での交通の要衝として、多くの人々の往来があり、そのなかには、飛鳥の都へ向かう外国の使者や、豪族たちも、この道を通ったと思われます。
江戸時代には、伊勢参りが盛んとなり、伊勢神宮に参拝する道中には、道しるべとして「おかげ灯籠」が建てられて、幕末にはおかげ参りが大ブームとなり、街道沿いでは、食事や湯茶の接待などの「施行」を行ったとされています。
このようすは、文政13年(1830年)に石園座多久虫玉神社(龍王宮)に奉納されたおかげ参りの絵馬(1990年焼失)に詳しく描かれ、この絵馬に描かれている「おかげ参り」に由来して、平成9年に、かつての横大路の賑わいと商都「大和高田」の復活を願って高田おかげまつりが発足しました。
まつりの当日は、おかげ踊りの「連」が街なかを練り歩き、商店街の皆さんによる施行がおこなわれるなど、盛りだくさんの催しが準備され、往時の「おかげ参り」がよみがえったかのような賑わいをみせています。

当時のおかげ参りの様子を描いた絵馬(平成2年焼失)
関連項目
- 下街道(大和郡山から高田を経て五条に至る)
- 長谷街道(伊勢街道・堺から伊勢に至る)
- 大神宮の高灯籠(旭北町)
- 道路元標(道路の基準となるもの・北片塩町)
- 長谷本寺(南本町)
- 高田おかげ祭り(10月・龍王宮周辺)
更新日:2022年01月21日