大日本紡績(ぼうせき)・ユニチカ高田工場跡
大日本紡績工場は、近鉄大和高田駅東の広大な敷地(しきち)にありました。
江戸時代の大和は全国有数の綿花(めんか)の産地であったところから、明治年間、高田は綿業の町として大いに栄えました。そして明治29(1896)年、綿糸や織物などを自給生産するために「大和紡績株式会社」が最新の設備を整(ととの)えて発足(ほっそく)しました。
赤レンガの建物は、この地における最初の洋風建築であったようです。その後「大日本紡績株式会社」「ユニチカ」となり、昭和52(1977)年に全面閉鎖されるまで高田のシンボル的存在でありました。
現在は大型商業施設や総合体育館、マンション群(ぐん)に姿を変え、大和高田駅周辺のデザインに用いられている赤レンガやマンション付近の記念碑、体育館付近の説明板にかつての名残(なご)りをとどめるのみです。
当時の敷地内には大きな寮やテニスコートもあり、工員は最盛期には二千数百人。近隣や遠方からたくさんの女性が働きに来ました。休みの時間には多くの工員が、買い物やひとときの憩(いこ)いに商店街へ繰(く)り出しました。このように女性の就労、そして商業の発展に大いに寄与しました。
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更新日:2022年01月21日