不動院

更新日:2022年10月14日

大和高田市本郷町に所在する真言宗御室派の寺院です。開山は未詳であり、聖徳太子の建立で三町(約327m)四方の敷地内に七堂からなる伽藍があり、畿内有数の霊地であったことや、聖武天皇の治世に光明皇后が再建したことなどが伝えられますが、真偽は不明で今後の調査が待たれます。現在の本堂は棟木に残された墨書から室町時代中期の文明15(1483)年に、高田城主であった當麻為長が「證菩提寺」として創建したことが分かっています。當麻氏滅亡後の詳細な沿革は分かっていませんが江戸時代中頃には地元の村が支配する村堂となっていたらしく、慶長から天和にかけては米倉に使われた時期もあったようで、明治6年に一度廃寺となっています。その後、大正5年ごろに再建されると、大正11年に吉野郡野迫川村で廃寺となった不動院の寺号を移して現在の名となりました。

本堂(大日堂)

不動院本堂

本尊に大日如来を祀ることから、大日堂とも呼ばれています。大正14年に重要文化財指定を受けました。

密教系の平面形態で、内部をはじめ、主に和様の特徴が見られる建築ですが、外廻りは組物を舟肘木とし、飛貫・腰貫を縦横に通して長押は少なく、桟唐戸を吊りこむ点で大仏様の影響をかなり受けています。このような手法は大和平野西部から南部に多く見られ、顕著な地域色をなしています。

建立後に何度も修理は行われていますが部分的なものにとどまってことにより、後世の改変をあまり受けず、当初の状態ををよく保存していることは貴重なことであり、本堂を建立した当麻氏の状況を知ることができることは重要です。

木造大日如来坐像

木造大日如来坐像

不動院の本尊で、智拳印を結ぶ金剛界の姿の大日如来像です。左足を上にして結跏趺坐しており、密教像としては珍しく現図曼荼羅にとらわれない形式を示します。制作時期は鎌倉時代前期頃と考えられています。

寄木造の技法が一般化する以前の古式な構造をとる鎌倉時代前期の秀作で、本堂の建立時期を遡り、当麻氏の動向を知るうえで重要な優品として貴重であることから、令和3年6月24日に市指定の有形文化財となりました。

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