梅田雲浜(うめだうんぴん)の碑(ひ)

更新日:2022年01月21日

梅田雲浜の碑の周りに緑が生い茂っている写真

さざんかホールの隣に梅田雲浜の碑があります。雲浜は若狭国(わかさのくに)小浜藩(おばまはん)の藩士の家に生まれ、儒学者(じゅがくしゃ)でもありました。また、長州(ちょうしゅう)の吉田松陰(しょういん)と交流をもち、幕末において活発に活動していました。このころから寺内町(じないちょう)の綿商い(めんあきない)をする豪商(ごうしょう)、村島屋とも交流があったようです。安政(あんせい)2(1855)年、村島屋の娘と結婚し、一時期は大和高田に住まいしています。
 村島屋と長州藩との交易(こうえき)はうまくいかず、さらに安政6(1859)年の安政の大獄(たいごく)で雲浜は逮捕(たいほ)され、獄中で病死しました。
 その後村島屋は薩摩(さつま)藩との交易に乗り出し、慶応(けいおう)2(1866)年に薩摩の物産(ぶっさん)を販売する薩摩藩国産会所(こくさんかいしょ)が寺内町に設立され、薩摩と高田の商人たちとの交易が開始されています。
 雲浜は近代高田の発展のきっかけをつくったとも言われています。

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