奥田の蓮取り行事

更新日:2024年06月27日

県指定無形民俗文化財 奥田の蓮取り行事

奥田捨篠池
奥田の蓮取り行事の様子写真

今年も開催 奥田の蓮取り行事

とき

令和6年7月7日(日曜)

無料バスを運行します(奥田捨篠池行き)

【時刻表】
近鉄大和高田駅 9:00 9:15 9:30
JR高田駅 9:03 9:18 9:33
近鉄高田市駅 9:10 9:25 9:40
奥田捨篠池 9:28 9:43 9:58

 

帰り 11時から13時までの間、30分ごとに奥田捨篠池を出発します。
【運行経路】奥田捨篠池→近鉄高田市駅→天神橋(JR高田駅付近)→近鉄大和高田駅

ときの流れをたどる-民話がいまに生きる

7月7日、七夕の日、市内奥田で、1300年を超える歴史をもつ「蓮取り行事」がおこなわれます。
室町時代から連綿とおこなわれてきた吉野山金峯山寺(きんぷせんじ)における「蓮華会(れんげえ)」の一連の行事であるとともに、役行者の母・刀良売にまつわる「ひとつ目蛙」の伝承に深い関わりをもつ行事で、奈良県の無形民俗文化財に指定されています。
この日、捨篠池では、蓮取り舟に乗って、古式にのっとりおごそかに蓮切りがおこなわれます。その後、善教寺に集まった修験者たちが、勇ましいほら貝の音とともに、福田寺・行者堂から、役行者の母・刀良売(とらめ)の墓に蓮花を献じて供養し、続いて、捨篠池に隣接する弁天神社で、護摩法要が営まれます。
こののち、修験者の一行は、吉野山金峯山寺・蔵王堂までの祠(ほこら)に、道中、蓮花を献じながら、蔵王堂での「蓮華会」「蛙飛び行事」に参加したのち、これらの蓮の花は修験者によって、大峰山頂上までの祠に供えられます。
吉野山の蓮華会に欠くことのできない奥田の蓮は、今日まで地元の皆さんの努力によって大切に守られてきました。
また、役行者没後1300年忌の平成12年には、蓮池公園に民話伝承碑が建立されるなど、捨篠池周辺の整備が進められています。

大きな木桶に入った蓮華の花を修験者が運んでいる写真

福田寺行者堂より
「蓮華」を運ぶ修験者

住宅街の裏手にある大きな灯篭が建つ墓地を、修験者一行が囲んでいる写真

刀良売の墓を詣でている
修験者一行

大きな木桶に入った蓮華の花を担いで、池の遊歩道を練り歩いている修験者一行の写真

蓮池公園(捨篠池)
周辺を練り歩く

修験者が上に向かって矢を放とうとしている写真
煙がモクモク出ている周囲に、修験者とお坊様が並んで立っている護摩供養の様子の写真

大護摩供養

奥田周辺での行事日程(予定)

行事日程一覧
7月7日午前10時 午前11時30分 正午
奥田捨篠池(弁天池)にて蓮取り行事 修験者が善教寺にて集合、福田寺行者堂より刀良売塚へ参拝 弁天神社にて護摩供養

役行者の母、刀良売の物語

上に大和高田の民話伝承碑と書かれた、奥田「捨篠池の一つ目蛙」が描かれた石碑の写真

昔、役小角(行者)の母(刀良売)が、奥田の蓮池で病気を養っているとき、夏のある朝、池の中にまつってある神社に詣でると、白い蓮花が咲いていて、その葉には金色に光った蛙がいました。刀良売は、一本の篠萱を引き抜いて、何気なく蛙に投げつけたところ、それが蛙の目にあたって、目を損じてしまいました。さして、池の中に逃げた蛙は、もとの土色の蛙となって浮いてきました。そして五色の霧も消えてなくなり、一茎二花の蓮も、もとの蓮になってしまいました。それから、この池の蛙は、一つ目であるといわれています。また、この池の蓮は、一本の茎に二個の花をつけた蓮であったので、めでたいとの前兆ではないかとして、朝廷に献じられたこともあったそうです。この異変ののち、この池は捨篠の池と命じられたといいます。

刀良売は、それから病気が重くなり、42歳で亡くなりました。母を亡くした小角は、心に誓って修験道をひらき、吉野山に入って蔵王権現をあがめ、蛙を祀って追善供養をしました。
以来、毎年7月7日は、吉野の山伏が奥田の行者堂にやって来て、香華を献じ、蓮池の蓮を摘み、それを大峰山中の拝所に供える蓮華会がおこなわれます。また、この日、吉野の蔵王堂では、「蛙飛び」行事がおこなわれます。
出典:大和高田市史

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