姉妹都市交流
大和高田市は、1963年に、オーストラリア・リズモー市と姉妹都市提携を結んでいます。日豪間の姉妹都市第1号です。その友好の歴史には、さまざまなエピソードが残されています。
大和高田市の姉妹都市・リズモー市は、オーストラリア南東部ニュー・サウス・ウェールズ州にあり、面積約1,267平方キロメートル、人口約44,000人(2019年)の都市です。
夏は海風が吹き、冬は比較的暖かい、穏やかな気候です。
市街地に今も残るのは、伝統的な建築様式の裁判所や旧郵便局。これらの建造物とそれを囲む自然との調和が、この街に独特の魅力を与えています。
主要産業は、酪農、畜産加工、果樹栽培、製材など。マカダミアナッツの生産も、活発です。市内には病院、空港などの施設があり、その中の一つ、サザンクロス大学の構内には、姉妹都市交流を記念するモニュメントが建てられ、リズモー市と大和高田市の友好を見守っています。
姉妹都市提携への歩み
戦後間もないころ、日本の侵攻を受けたオーストラリアには、強い反日感情がありました。そのような中、1952年高田カトリック教会に、リズモー市出身のパウロ・グリン神父が赴任されました。
当時の大和高田に幼稚園が必要だと感じたグリン神父は、日本・オーストラリア両国でおこなった募金活動により、高田カトリック幼稚園を建て、はるか離れた日本とオーストラリアという2つの国を、結びつけたのです。
同じころ、当時の大和高田市長・名倉仙蔵氏と神父の間で、両市の姉妹都市提携が話題にあがりました。そこで神父は、幼稚園完成後、姉妹都市提携のために両国を奔走し、1963年8月7日、日本・オーストラリア間で第1号となる、リズモー市との姉妹都市提携が実現しました。
第2次世界大戦終結後の、オーストラリアでの反日世相から友好への道のりは、千葉茂樹監督の「豪日に架ける~愛の鉄道~」という映画の中にも描かれています。この映画の題材となったのは、パウロ・グリン神父の兄、故トニ・グリン神父です。トニ神父もパウロ・グリン神父同様、日本とオーストラリアの友好のために活躍した人物として知られています。
こうして、グリン神父兄弟をはじめとするたくさんの人たちの力を得て、日本とオーストラリアの間に、確かな友好関係が築かれていきました。
リズモー市と大和高田市の「姉妹都市提携に関する盟約書」には、両市が描く友好の姿が、次のように記されています。
『この交流、この友情は両市間のみにとどまらず、その母国日本とオーストラリアにまで及ぶであろうことを信ずる。さらにこの両市の協調が全世界の平和に貢献するであろうことを確信する』
盟約書でうたわれた友好の精神は、今も受け継がれ、現在では日本とオーストラリアの間で結ばれた姉妹都市の数は、100を超えています。
姉妹都市交流事業について
リズモー市との国際交流事業については、委託された大和高田・リズモー都市友好協会によって行われています。80名あまりの会員が、交換学生派遣事業や英字新聞の発行などの活動をしています。
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企画政策部 広報広聴課 観光交流担当
大和高田市大字大中98番地4(市役所5階)
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更新日:2023年10月18日